浄土真宗本願寺派光徳寺
(大阪府吹田市)
Japanese Only


お布施の行方

〇 『光徳寺だより』2022年1月号より(2022年12月24日up)
 今年(二〇二二年)二月で、前住職が亡くなって満三十年になります。現住職が光徳寺の法務と寺務を預かるようになってから、門徒の皆さんのご家庭でも世代交代があり、新しく光徳寺門徒となられた人もいらっしゃいます。
 現住職になってから、光徳寺ではいくつかの方針設定や改革を行ってきました。改めて、その内容を紹介しましょう。
 光徳寺の原点は「聞法の道場」です。つまり、ともに阿弥陀仏の誓願と、その意味を説き示してくださった親鸞聖人の教えを聞く場所です。光徳寺は、そのために護持されてきた寺院であり、儀式や行事をはじめ、すべての活動方針は「聞法の道場」に帰結します。そのことを前提に、今回は御布施についてお話しします。以前に書いた文章に重なりますが、少し内容を改めて掲載します。

 近年、経済格差が広がり、その影響が仏事にも現れています。例えば、経済的理由から無宗教(僧侶を呼ばない)葬儀が増えているそうです。どうぞ、気持ちの上で十分な御布施が出来ないから僧侶を呼べない、と考えないでください。経済的理由で仏の教えに遇えないことは、僧侶として看過できません。御布施は、その時に出来ることをしてくだされば十分です。
 「貧者の一灯」という話があります。貧しい年老いた女性が、釈尊の教えを聞き、自分も仏さまに灯明を御供えしたいと願って油を買いに行きます。しかし女性の持っているお金では油を買うのに足りません。そこで彼女は、釈尊より聞いた教えの尊いこと、その尊い教えを説かれる仏に自分も供養したいこと、を油商人に話します。商人は、その姿に心打たれて油を渡すのです。そうして灯された明かりは、ほかの灯明が消えてしまった後も、いよいよ輝きを増し消えることはありません。不審に思った弟子に対して釈尊は仰有るのです。「たとえ大海の水を注いでも、たとえ嵐が吹いても、この灯を消すことは出来ない。なぜなら、(仏の教えを伝えて)一切の人々を救いたいと願う、広い心から布施されたものだから」と。ですから、ひとつだけお願いがあります。仏さまの教えを尊び、聞く縁をもっていただきたいのです。御布施が気にかかるなら、いつか生活に余裕が出来れば、光徳寺でなくてもけっこうですから、その時に縁のあるお寺に御布施をしてくだされば有り難いです。自分の代でかなわなければ、子や孫にそのことを伝えておいてください。
 お釈迦さま以来、仏教は二千五百年の歴史をもちます。経典に説かれる世界は十年や二十年の話ではなく、始まりのない過去から遙かなる未来へと続きます。その中に、たまたま私たちは今いのちをいただきました。今日仏教が私に届いているのは、もしかしたら、あなたの祖先が支えてくださったからかもしれません。遙かなる未来へと伝わる中で、あなたの子孫が支えてくださるかもしれません。そのことだけ忘れずに、次の世代に伝えてくだされば十分です。

 一方、生活に余裕のある人、経済的に恵まれていると感じておられる人は、聞法の道場としての寺を支えてください。布施に「これくらいで良いだろう」はありません。
 『阿弥陀経』は、「祇樹給孤独園(祇園精舎)」で説かれたと示されます。
 釈尊の時代に、スダッタというお金持ちがいました。彼は、身寄りのない孤独な人たちに施しをしていたので「給孤独長者」と呼ばれていました。ある日、釈尊の説法を聞いて深く尊崇の心をおこし、自分の住む舎衛国に釈尊を招きたいと考えて、精舎を寄進しようと考えました。そこで、舎衛国の太子である祇陀(ジェータ)に彼の所有する土地を譲って欲しいと頼みます。すると祇陀は「必要な土地を金貨で敷き詰めたら、その土地を譲ろう」と応じたのです。それは土地の価値を遙かに上回る値段であり、祇陀も戯れで言ったのです。しかし、スダッタは、いくつもの蔵を空にしてまで金貨を並べるものですから、驚いた祇陀はその理由を尋ねます。そして祇陀自身もお釈迦さまを招くために協力したいと願い、樹木を植えました。そこで、「祇陀が樹木を植え、給孤独長者が建立した精舎」という意味で、「祇樹給孤独園」と呼ぶようになったのです。

 光徳寺は、御布施の多寡によって門信徒への対応を変えることはありません。仏事の内容を変えることもありません。  資本主義の理屈では、商品やサービスが同じなら、その価格も同じということになります。しかし資本主義の仕組みだけが、人類の手にした知恵ではありません。
 もし御布施を損得の基準でしか判断できないなら、その人は不幸だと思います。今年もご一緒に仏さまの教えを聞きましょう。今年こそ、ご一緒に仏さまの教えを聞きましょう。
〇 法要の御供え(『光徳寺だより』2015年11月号より 2016年10月30日up)

 浄土真宗の聞法を支える組織には、二つあります。一つは、寺院です。もう一つは、「講」組織です。
 講(もしくは講社)という言葉の始まりは、平安時代以前の、僧侶が仏教経典の意義を講義する、講義の「講」です。やがて、「同一の信仰を持つ者の結社」という意味になりました。さらに、戦国時代になると、地域社会の自治が進むのと並行して、国人領主や地侍を中心に講組織が強化されたと考えられています。

 さて、春の永代経法要は寺院主導で勤められる法要であり、報恩講は門信徒が主導して勤める法要といえましょう。ですから、会計も含めて門徒が中心になって運営されるのが、報恩講です。つまり、報恩講は、門信徒一同が施主となる法要です。
 仏さまの前でお勤めし、仏さまの教えを聞かせていただくのですから、ご本尊さまにお花の一輪、灯火の一つも御供えさせていただくのが、仏教徒としての自然な姿ではないでしょうか。ただ、お花や灯火だけでは法要をお勤め出来ないので、御供え(懇志・御布施)という形をとっているのです。ここで大切なことは、報恩講が勤まるから御供えとして法要費用を出すのではなく、報恩講を勤めるために皆で費用を持ち寄りましょう、という意識です。
 しかし、御供えがなければ参れないということではありません。収益をあげることが目的ではありませんから、御供えなしでお参りになっても、何の障りもありません。

 かつては、布施についての考え方は家々で親から子に、子から孫に伝えられてきました。また、布施の意味からいうと好ましいことではありませんが、地域で金額を決めておられるところもあるようです。
 しかし、社会状況の変化にともない、そのような繋がりが希薄になり、時には何も分からないまま寺院との付き合いが始まるという方もおいでです。そこで、目安として、報恩講と永代経法要では帳場(受付)を設け、金額の張り出しをしています。
 ただし、それは、これだけの御供えをしましょう、という目安ではありません。初めてお参りになる方が悩んだあげくに、無理してたくさんの御供えをされることのないようにする目安です。
 御供えよりお参りを大切にしていただきたい、のです。懇志が負担になってお参りしにくいというのでは困ります。

 ところで、前住職が亡くなって寺務を引き継いだ際に、大きな意識改革をいくつか行いました。その改革の考えの基本は、光徳寺の創建が「聞法の道場(浄土真宗の教えを聞きたいという人たちの願いによって開かれた場所)」であるという原点に返ることでした。
 例えば、前住職の時には、報恩講や永代経法要などの大きな法要では、宗派の違うご近所の方も含め、本堂にお参りにならなくても御供えだけ持ってこられるという習わしがありました。そのような御供えは、お付き合いの手段でしかありませんから、すべてお預かりするのをお断りしました。
 また、月参りや法事などのご家庭の仏事だけに関心があって教えを聞くことを軽んじられる方に向け、寺報などで本堂へのお参りを促しました。そこで、そのような住職の考えに応じて、月参りに代えて毎月の定例法座にお参りこられるようになった方もおいでです。その方は、月参りの御布施に代えて定例法座の御供えにされている場合があります。
 光徳寺にお墓があったり、納骨壇をお持ちの方もおいでです。その中には、お盆やお彼岸の法要にお参りになり、御供えをされることもあります。お正月に寺に初参りをされて、御供えをされる方もおいでです。
 御供えには色々な形があって良いと、光徳寺住職は考えています。

 日本人の多くは、他者に合わせようとすることが多いようです。しかし、人と全く同じ人生を歩むことなど不可能であり、それぞれに様々な人生の岐路があり、出来事があります。
 お釈迦さまは一人ひとりの人生の固有性を前提として、「随機説法」をなされました。ですから、他者に合わせるのではなく、何事も自らの問題と考えていくことが、仏教では大切なのです。
 帳場に掲示された御供えの金額を見ると、ある程度の範囲内ながらも、バラバラの数字であることが分かります。他者に合わせておられないのです。
 また、「貧者の一灯」や「祇園精舎の寄進」などの伝承は、布施したいと願う縁に遇った時に、その時に出来ることを出来る精一杯にする、と教えてくれます。この精一杯というのは、「多く」という意味ではなく、損得の勘定で計らないという意味です。
光徳寺の御供えの考え方の基本は、出来る時に出来るようにです。そして、住職の願いは、法座や法要などの御供えだけで寺院運営ができ、その法座や法要にお参りになられる方々やそのご家族をご縁とする仏事に、御布施に関係なくお参りする、という寺院です。
〇『光徳寺だより』(2012年1月号より 2016年10月30日up)
 『華厳経(けごんぎょう)』は、大乗仏教の重要な経典のひとつです。親鸞聖人は、主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の巻末など、著書のかなめの箇所に引用されています。
 この経典でよく知られるのは、「入法界品(にゅうほっかいぼん)」と呼ばれる章です。内容を簡単にまとめますと、主人公の善財童子が菩提心を発っし、文殊菩薩に勧められて様々な立場の人に会って菩薩道について尋ねるという物語です。その数は五十三人、仏教の修行者ばかりではありません。様々な階層や職業の人が登場します。菩薩や神、権力者やお金持ち、差別されていた職業や身分の人たちのもとを訪ねます。
 身分はもとより貧富、職業、性別、身体的特徴などに関わりなく、それぞれに真実に至る入口、世界を知る道への入口があるというのです。

 ところで、近年、貧富の格差が広がり、その影響が仏事にも現れています。例えば、経済的理由から無宗教(僧侶を呼ばない)葬儀が増えているそうです。どうぞ、気持ちの上で十分な御布施が出来ないから僧侶を呼べない、と考えないでください。経済的理由で仏の教えに遇えないことは、僧侶として看過できません。御布施は、その時に出来ることをしてくだされば十分です。
 「貧者の一灯」という話があります。貧しい年老いた女性が、釈尊の教えを聞き、自分も仏さまに灯明を御供えしたいと願って油を買いに行きます。しかし、女性の持っているお金では油を買うのに足りません。そこで彼女は、釈尊より聞いた教えの尊いこと、その尊い教えを説かれる仏に自分も供養したいこと、を油商人に話します。商人は、その姿に心打たれて油を渡すのです。
 そうして灯された明かりは、ほかの灯明が消えてしまった後も、いよいよ輝きを増し消えることはありません。不審に思った弟子に対して釈尊は仰有るのです。
 「たとえ大海の水を注いでも、たとえ嵐が吹いても、この灯を消すことは出来ない。なぜなら、(仏の教えを伝えて)一切の人々を救いたいと願う、広い心から布施されたものだから」と。
 ですから、ひとつだけお願いがあります。仏さまの教えを尊び、聞く縁をもっていただきたいのです。そして、そのことを次の世代にも伝えてください。
 御布施が気にかかるなら、いつか生活に余裕が出来れば、光徳寺でなくてもけっこうですから、その時に縁のあるお寺に御布施をしてくだされば有り難いです。自分の代でかなわなければ、子や孫にそのことを伝えておいてください。
 釈尊が悟りを開かれてより二千五百年以上経ちます。今日仏教が私に届いているのは、あなたの祖先の支えがあったからかもしれません。遙かなる未来へと仏教が伝わる中で、あなたの子孫が支えてくださるかもしれません。

 一方、生活に余裕のある方、経済的に恵まれていると感じておられる方は、聞法の道場としての寺を支えてください。布施に「これくらいで良いだろう」はありません。
 『阿弥陀経』は、「祇樹給孤独園」で説かれたと示されます。京都の「祇園」は、「祇樹給孤独園」を短縮したものです。
 釈尊の時代に、スダッタというお金持ちがいました。彼は、身寄りのない孤独な人たちに施しをしていたので「給孤独長者」と呼ばれていました。ある日、釈尊の説法を聞いて深く尊崇の心をおこし、自分の住む舎衛国に釈尊を招きたいと考えて、精舎を寄進しようと考えました。そこで、舎衛国の太子である祇陀(ジェータ)に彼の所有する土地を譲って欲しいと頼みます。すると祇陀は「必要な土地を金貨で敷き詰めたら、その土地を譲ろう」と応じたのです。それは土地の価値を遙かに上回る値段であり、祇陀も戯れで言ったのです。しかし、スダッタは、いくつもの蔵を空にしてまで金貨を並べるものですから、驚いた祇陀はその理由を尋ねます。そして祇陀自身もお釈迦さまを招くために協力したいと願い、樹木を植えました。そこで、「祇陀が樹木を植え、給孤独長者が建立した精舎」という意味で、「祇樹給孤独園」と呼ぶようになったのです。

 光徳寺は、御布施の多寡によって門信徒への対応を変えることはありません。仏事の内容を変えることもありません。
 資本主義の理屈では、商品やサービスが同じなら、その価格も同じということになります。しかし資本主義の仕組みだけが、人類の手にした知恵ではありません。
 仏事の内容は同じでも、御布施は違って良いのです。仏事はサービスや商品でもなければ、御布施もまた代金ではありません。
○ 儀式執行のお布施(『光徳寺だより』2002年1月号より 2010年7月13日補足)
  光徳寺では、年間収入の約75パーセントが葬儀などの儀式執行に際しての布施です(2000年度)。しかし、この現実は、私たちの社会において布施の本来性を失わしめ、寺院の最も大切な役割である伝道活動にも支障をきたす結果となりかねません。そこで、光徳寺では、今後徐々に儀式執行に際しての布施を頂戴しないようにしたいと思います。その第一歩として、今年より中陰(葬儀の後の七日毎のお勤め)の布施はお預かりいたしません。

 今日の日本では、いわゆる観光寺院など一部を除いて、ほとんどの仏教寺院は運営費用を大なり小なり在家信者からの布施に依存しています。そして、その布施の大部分は、葬儀をはじめとする儀式執行に際して、寺院になされるものです。
 そもそも布施は、大乗仏教徒の最も大切な行いのひとつです。同時に最も難しい行いのひとつでもあります。それは、私たちにとって執着(しゅうじゃく)の心を離れることが難しいからです。だからこそ、布施は、私たち人間が貪欲(とんよく)におぼれる姿を明らかにし、執着を離れた生き方を実践していく大切な行いといえるのです。煩悩具足の私たちにとって、一時なりとも執着を離れることは極めて難しいことですが、せめて仏さまに関わることだけでも布施の心を大事にしたいものです。
 しかし、現代社会においては、布施は本来の意味を失い、儀式執行の対価、つまり代金という意識が広がっています。式執行の代金に依存して来た寺院経済にも問題があります。儀式の料金として布施を考えがちな施主にも問題があります。布施についての僧俗双方の執着が、仏教を悪い意味で世俗化してきたことは否めません。この事実は、一方で仏教に救いを求める人々が伝統仏教教団への不信感を抱くこととなり、一方で寺院が儀式執行サービス業とみなされて、儀式が宗教的心情を深める縁とならない人々を増やしてきました。特に、都市部ではその傾向は急速に強まっているようです。
 そこで、光徳寺では、そのような風潮を改めるために、儀式執行の布施を一度なくしてみようと考えたのです。
 この考え方も、本来の布施の意味からは逸脱するものです。さらには、急な転換は、光徳寺の会計を混乱させるばかりでなく、他の寺院にも影響を与えかねません。加えて、光徳寺門信徒の中には、こうした方針にご賛同いただけない方もおいでかもしれません。寿司やピザの宅配のように、必要なときだけ儀式を執行してくれる僧侶を求めている方もおいでかもしれません。ですから、時間をかけ、門信徒の方々の感想も聞きながら、一歩ずつ進めていきたいと思います。

 ところで、なぜ中陰の布施から始めるのでしょうか。時折、お尋ねをいただくことですが、「四十九日が三か月にわたるといけないといいますが、三十五日で切り上げた方がよいのでしょうか?」これは、「四十九(始終苦)が三月(身につく)」という語呂合わせをもとにした何の宗教的根拠もない迷信です。しかしながら、こうした迷信にも、語り継がれるようになった背景があると考えられます。
 今でこそ近親者だけの中陰が多くなりましたが、以前は広く縁ある方々にご案内してのお勤めであったようです。そのためには、かなりの費用がかかります。中には、お勤めが難しい施主もおいでだったことでしょう。しかし、世間体を気にする旧来の社会では、経済的理由で中陰のお勤めを止めるとは言いにくかったように思います。その結果、お勤めを少しでも簡略化する別の理由が求められたことは容易に想像できます。そのひとつが、切り上げの迷信であったようです。
 貧しさ故にお勤めが短縮されることは悲しいことです。経験的に申して、中陰期間のお勤めの方が葬儀や通夜よりも宗教的に意味深いことが多いようです。すべての人が、経済的な負担を感じずに故人の思い出を振り返り、故人を縁として仏法を聴聞いただく時間をもっていただきたいとの願いから、中陰の布施から始めたいと思います。

 さて、光徳寺運営費用の将来像はどのようなものでしょうか。仏の教えに出遇われて、その教えをもっと聞きたい、後世にも伝えたいと思われた方が、そのための方法のひとつとして布施をしてくださればいいのです。そう思ってくださった方々にとっては、もはや布施は何かの代金でもなければ、またその額を僧侶に尋ねる必要もないでしょう。

 門信徒の皆さんに日頃より上のようにお話をしていても、建て前と本音の別があるのではないか、と勘ぐられる方もおいでです。そんな勘ぐりはなくとも、自分の家族が亡くなった場合は、やはりどうして良いか判断しかねて、取り敢えずお布施をご用意いただいていることも少なくありません。
 ご家族の中には、お布施をすることが亡くなった者への気持ちの表れとして、お布施をすることにこだわられる方もおいでです。「お布施をすれば自分の気持ちは満足する、仏の教えなど関係ない」となってしまっても困ります。
  また、厳密には、お参りの際に頂戴するお茶やお菓子も布施ですから、一切とは受け取りません、とは言い切れません。初七日と七七日(四十九日)法要につきましてはご法事としてお勤めになることが一般的であり、ご親族や親しい方々からの御供えがあることも少なくありませんので、ご家族と寺の関係だけで考えることができなくなります。
  ですから、実際には、ご法事である初七日と七七日を除く、二七日〜六七日までの金銭による布施は、一切おあずかりしていません。しかし、これは「値引き」や「価格のサービス」ではありません。「得した」とお考えになる方もおいでのようですが、逆にそうした意識の中に見える「お布施の料金化」を見直すのが目的ですので、少しでも寺院との関係についてお考えていただきますよう、お願いしています。
○ お布施と寺院経済
 近年の経済不況の影響は、寺の運営の中でも感じることがあります。例えば、葬儀が簡素化され、参式する僧侶の数も減りました。月参りの回数や御布施を少なくされるご家庭もあります。
 光徳寺では、こうした傾向を必ずしも悪いこととは考えません。今までの門信徒と寺との関係にも問題があったように思います。光徳寺の経済状態は、長い間良くなかったそうです。そのような中から、葬儀や法事、月参りなどの儀式の御布施に依存するようになりました。
 御布施は儀式や読経の料金ではありません。ですから、お参り毎に御布施は必要がないのかもしれません。そして、お参りしようがしまいが、御布施は必要なのかもしれません。
 こんな時勢です。寺の運営の最低限の費用は、門信徒会が支えて下さいます。お参りの度に御布施を用意していただく必要はありません。できる時に、できるようにして下さい。それで、気がすまないのなら、財施よりも法施、寺にお参り下さい。

 浄土真宗では、完全な布施はできないと考えます。それは、私たちが、どうしても布施の内容(金額)にこだわる心を捨て切ることのできない凡夫だからです。
 しかし、それを言い訳にして、僧侶は仏さまを経済の道具にしてきました。「僧侶も人間だから食べなければならない」そう言って仏さまの徳を横取りしてきました。生活のために僧侶になったはずではないのに。
 僧侶ばかりではありません。遺族の愛情の深さを証明するため、世間体を気するため、葬儀の規模を考えた方はいませんか。「ご先祖を粗末にしたらバチがあたる」そう言って投資や保険のつもりで御布施やおさい銭を包んだことはありませんか。
 浅はかな理屈をつけて、私たちは大切な命を、どこかで金銭的価値に置き換えてきました。仏さまのお慈悲に値段をつけてきました。こんなことをしているうちに、私たちからどんどん宗教意識が失われ、ビジネスとしての偽宗教が横行します。今こそ御布施を料金と考える意識を見直す時です。

 いずれ、それも近い将来、儀式の御布施に頼る寺の経済のあり方は改められるべきでしょう。それは、同時に寺と門信徒との関係の見直しでもあります。
 徐々にですが、光徳寺の運営について改めていかなければならないと思います。そのためには、門信徒の方々にも、寺や仏教に対する考え方を問い直して頂く必要があるでしょう。
 その前に寺とは何か、本当に必要なのかを考えなければいけないと思います。私たちは、考えなければいけない時に、面倒だから、今の生活に直接関係がないからと考えることを放棄してしまうことがよくあります。
 仏法を聴聞頂いて、この法をもっと聞きたい、次の世代へも伝えたいと願う方が御布施をして下さるのが本来の姿でしょう。
 住職や一部の熱心な方々にとっての寺ではありません。門信徒一人ひとりへの問いかけなのです。少なくとも住職は、寺の本来の姿に戻るなら、寺の収入と住職一家の生活とを切り離してもいいと考えています。


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